以前から興味のあった加西市の戦争跡地を見てきました一時間ぐらいで、さっと見てまわりました。

上図は画質が悪いので下のかさい観光ナビのPDFのマップを見てもらえたら分かりやすいです。
https://www.city.kasai.hyogo.jp/uploaded/attachment/16495.pdf
まず最初に緑の9番の法華口駅を車でスタートしました。8番に向かいます。8番にアクセスする最後の分かれ道みたいなところは歩いてじゃないとアクセスできないので道に車を停めて歩いていきました。道の幅は広く問題なかったです。

とりあえず、目的地まで2分ぐらい歩いたかもしれないです。息があがる距離ではなかったです。


奥に見えてきました。爆弾庫跡です。80年ほど前に使われていた爆弾庫が見えてきました。

正面にきました。中には入れませんでした。

上図のように案内版があり分かりやすかったです。


中の様子です。この日は月曜日で僕以外、誰もいませんでした。

次は7番の防空壕に来ました。

防空壕っていうと、もっと狭いイメージですが、ここは大きいなと思いました。

南京錠がかかっていて中には入れません。

僕が生まれる前の日本に思いをはせてしまいます。

次は6番の門柱・衛兵詰所跡です。

この門柱はレプリカです。奥のこげ茶色の建物はトイレです。綺麗でした。

この衛兵詰所もレプリカです。

門柱は平成30年に建てられたようです。

今は何もない田舎の光景ですが当時はここを沢山の人達が行き来したと思われます。

トイレの側に当時の門柱の基礎がありました。正直、基礎だけは残念だなと思いましたが、これが残ってるだけでも当時を忍ぶことができました。

インバウンドの外国人観光客が多い現在ですが、ここ加西は外国人観光者は全然、見かけません。
終戦後にアメリカ軍がここにやってきてたのが不思議な感覚です。

別角度から、もう一枚とりました。

次に5番に行く最後の分かれ道のところにこの看板がありました。機銃座にいきたいと思います。機関座のほうはなんとなく車でいかないほうがいいと思ったので歩いていきました。この看板の横にここに車を停めろとばかりに駐車場スペースがあったので車を置いていきました。

対向車が来たら面倒だし歩いて正解でした。

砂利道を歩いていきました。

最後に右に入ったら機銃座があります。このような標識があるのでありがたいです。

機銃座らしきものが見えてきました。

ありました。この機銃座は模型です。

この機銃は平成17年の「男たちの大和」の撮影のために作成されたもので、京都の太秦撮影所が保管してましたが、加西市に譲ってくれたようです。

この場所に機銃座があったのは事実です。

さすがに本物が残ってるのは難しいんだろうなと思います。

しかし、映画「男たちの大和」を機会があったら見ないけないなと思いました。


次に4番の巨大防空壕跡にきました。


自力発電所でもあったようです。

なかも相当広そうです。

今はのどかな田舎ですが当時はいろんなことがあったんだろうなと思いました。

次に3番の鶉野飛行場滑走路跡にきました。

当時はこの滑走路を戦闘機が走ってたのかと思うと感慨深いです。

何度も言いますが現在はのどかな場所です。

滑走路に沿った道です。

鶉野飛行場滑走路の長さは1200mで幅が60mのようです。

次は1番の「soraかさい」にやってきました。

バス停もあります。そして駐車場は広いです。

しかし、せっかく来たのに第2第4月曜日は定休日です。中には入れませんでした。

そして反対側にまわってきました。

当時、滑走路をならすための転圧ローラーがありました。

あんまり感慨深いとは思いませんでしたが、当時に思いを馳せることができました。

地図2番の鶉野平和祈念の碑苑です。

せっかく来たので外から建物の中を覗きました。戦闘機2機が見えます。これは模型のようです。

しかし、かなりの大きさがあり迫力がありました。

向かいの建物にはレンタサイクルがありました。このあたりは車も少ないし自転車で走ると気持ちいいと思います。
ブログ記事の跡地をまわるのに、一時間ほどかかりました。他の人の加西市戦争跡地のブログ記事に比べて、ものすごく内容がうすいですが最後まで読んでくれてありがとうございます。
失礼します。
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