著名人の感銘を受けたセリフ。格言。2(小生の独断と偏見です。)2023/07/24

鈴木みのる

(トレードマークの黒パンが格好いい鈴木みのる)

東日本大震災の時、東北の人たち大変な目にあってました。その時、当時、バリバリだった杉浦貴、今もな杉浦はバリバリですが、雑誌で自虐的に「プロレスで勇気を与えるとか元気を与えるとか、そんなの自己満足ですよ。」と言ったことに対して、鈴木みのるがリング上でマイクを握り、言います。

お前がプロレスの力、信じないで、誰が信じんだよ!

 

と言いました。鈴木みのるはたまに、深く刺さることを言います。パンクラスの時から見てきた小生なんかからしたら嫌いになれない人物です。

(50代でもバリバリの杉浦貴)


男はつらいよ 寅さん 渥美清

小生、埼玉県の三郷市に半年ほど大昔、住み込みの寮に住んでました。車を持ってなかったのですが、たまに金町の方に遊びにいったりしました。その頃、映画の存在は知ってましたが、そのひとつも見たことがなかったです。その時よりも、時系列で、ずっと前の寅さんのセリフが今、動画で見ることができます。

満男が「人間って何のために生きてんのかなぁ?」の質問に対して、寅さんは

「生まれて来てよかったなあって思う事が何遍かあるじゃない?ねぇ?そのために人間、生きてんじゃねえのか?」

小生が個人的に好きなセリフです。大げさかもしれないですが、男はつらいよが、なぜ、名作であるのか分かるシーンだと思います。

男はつらいよを見てると、背景が昔に日本です。古いのになると、小生はまだ、生まれてもいないのに、なんか懐かしく感じたりします。

 


ビートたけし 寺島進へのひとこと

なんか女子サッカー選手が引退したとき、それに関して、寺島進に、たけしが言ったセリフです。詳細が違ったらすみません。当時、全然、まだ、売れてなかった寺島進です。たけしは

「アンちゃん、スポーツ選手は現役を引退とかあるけど、役者ってのは死ぬまで現役だから、死ぬ間際に有名なったら、天下とったら、そいつの人生、そいつの勝ちだぜ。」

みたいなことを言ったらしいです。この言葉に寺島進は感銘をうけたようです。寺島進は昔はたけし映画でしか見なかったという印象です。ずいぶん、雰囲気があるのに、たけし映画でしか見ないのはなんでだろうと小生は思ってました。よくよく、調べると、たけしが役者として寺島進のことを気にいってたみたいです。「その男、狂暴につき」の後、「ソナチネ」か「あの夏、いちばん静かな海。」の撮影のとき、いきなり、寺島に呼び出しの声がかかったようです。

(映画ソナチネ)

「その男、凶暴につき」の時に寺島進は白竜氏の手下のチョイ役で出てましたが、後々、たけしはスタッフに「白竜さんとこのあの若いあれ、呼んどいて!」と言い、それから、たけし映画の大きい役で出る様になったみたいです。


ロバート・デ・ニーロ 映画「RONIN」でのセリフ

ロバートデニーロとジャンレノが出演してた映画です。フランスを舞台にした映画、ストーリーは特殊工作員やスパイが入り混じった内容です。そこで、ロバートデニーロがまるで、自分の座右の銘のように語る言葉がありました。物事がうまくいかない時なんかに、ロバートデニーロが独り言のように言います。

「チャンスは待つ者にやってくる」

日本人の感覚だと待つ人間というのは否定的にとらえられます。小生、日常生活でこの言葉をパクったことがありますが、友人に「チャンスは待っとったら、あかんで。」と返されてしまいましたが、ロバートデニーロのこの言葉は個人的に感銘を受けた言葉です。原文は確か、「good thing happen to people who wait」みたいな感じだったと思います。難しい表現はつかってないです。ただ、日本人の小生、ネイティブの英語の文章の言外の意味とか理解できないのが辛いとこです。日本の配給会社によっては「待てば海路の日和あり」というセンスのない翻訳をしてました。小生、この映画は2,3回みました。


ビートたけし

また、たけしになってきます。小生、たけしを心酔してはないですが、小生、関西人ですが、お笑い芸人として、ダウンタウンの松本氏とかよりも、たけしは全然、上だと思っています。ただ、たけしの暴力系の映画については全部は見てないです。

「被災地での空き巣は射殺しろ!」

これは義憤からくる想いと思います。今の世の中だと、空き巣も必死なんやとか、空き巣擁護の声もあがるかもしれないです。空き巣に対して誹謗中傷はやめろとかいう人間もいるかもしれません。義憤ということ自体が否定される世の中なのかもしれないです。実際、これに対して、ホリエモンは「被災地での空き巣は卑劣です。それは異論ないです。しかし影響力のあるたけしさんの「射殺しろ!」は良くないと思います。」みたいなことを言ってたようです。ホリエモンは目立つためにハイエナのような男であるのが伺えます。

実際、阪神大震災の時1995年です。大昔です。あの時も火事場泥棒が横行してたようです。阪神大震災は地震からの火事がひどかったです。あの時代、スマホもない時代です。あの時、小生はまだ、少年で車の免許をもってなかったですが、大渋滞で神戸市から離れるのに何時間もかかってたようです。あのとき、長田区の番町に大阪ナンバーの軽トラで石焼芋を売りに来てた人間がいたようですが、何を思ったか、焼き芋の値段を一個、5000円にしてたようです。完璧におちょくってるように思えます。長田の番町は同和地区みたいなところです。怒った番町の人間達は皆で軽トラをひっくり返したようです。なんとも言えない話です。長田では沢山の人間が亡くなりました。目の前で人が焼け死ぬ話を現場にいた人間から聞きました。ここでは詳しくは書けませんが。もし、今の時代だったら、すべてを動画でとってる人や防犯カメラも多いと思いますが、あの当時、いろんな出来事がありました。


今回も個人的に印象に残る格言を挙げました。ほんとに小生の独断ですみません。

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