1980年代
スパルタンXが上映された1980年代は小生の幼少時代であり、あの当時の日本の子供達にジャッキーは大人気でありました。ジャッキーはたまに日本に来てテレビに出てました。小生なんぞはスパルタンXの筆箱を使用してました。水曜ロードショーやら金曜ゴールデン劇場でジャッキー映画が上映されると、次の日、学校では皆、ジャッキーの物真似をしてました。小生、香港のアベニューオブスターズで、ジャッキーの手形に自分の手をあわせましたが、身長170cmちょっとという噂ですが、手形はグローブのように大きかったです。サモハンキンポ―、ジェット・リーの手形はちいさかったです。
小生が小さかった時に近所の子供と二人だけで見に行った映画がポリスストーリーでした。
映画サンダーアームでの事故の時、ジャッキーが植物人間になったという噂が広まり、気が気でなかったことをおぼえています。ジャッキー通の人達はいろんな思い出があることと思います。
ベニー・ユキーデとの対決シーン
少年時代、対決の迫力とベニー・ユキーデの冷徹な表情に驚かされました。スパルタンXはその後、何度も視聴しましたが、未だに格闘シーンの凄さが色褪せないです。40年近く前の映画だというのにです。話がそれますが、今、現在、西洋の若者達がパルクールなるもので、いろいろ、凄い技を披露してますが、実際は大昔にジャッキーがやっていたことをやっているだけの様におもえます。
ベニーユキーデは空手家で、当時も有名であり、日本でも、何度か試合をしております。ユキーデについてはまた、別にブログで書きたいと思います。
ユンピョウと対決したキース・ヴィタリ
キース・ヴィタリはユキーデの相棒みたいな感じで、悪者の用心棒役でした。小生はユンピョウとの闘いの中で、一瞬、ソファーに座り向かい合うシーンが好きです。ユキーデに比べると、少し影が薄かったかもしれませんが、重要な役だったと思います。
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実際、この人はアメリカ人で、職業ファイターであり、一流の空手家であったわけです。子供向けのいじめから、自分の身を守る護身術の本を書いたりしております。
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チャック・ノリスとも、交流があり、1952年生まれのようです。10本以上の映画に出演もしております。ショウ・コスギとの共演経験もあります。
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当時、ロスアンゼルスの映画関係者がキース・ヴィタリに(ジャッキーチェンと仕事することに興味があるか?)と尋ねられ(もちろんです。)と答えると(二日後の飛行機に乗って、スペインに行くことが出来るか?)と言われ、二日後にはスペイン行きの飛行機に乗っていたようです。空港にはユキーデもおり、一緒に飛行機に乗りました。
キース・ヴィタリはユキーデほどの空手家として実績のある人間と共に仕事できることを嬉しく思ったようです。撮影の4か月ほどの間、共にトレーニングをしました。
そして、ジャッキー、サモハン、ユンピョウのことを本当に高く、評価し、アメリカなんかより、全然、レベルが違うとかたってます。3人はいろんな、アドバイスをしてくれ、ジャッキーは顔の表情の作り方を教えてくれたそうです。サモハンは振付の流れなんかを指導したそうです。サモハンはキース・ヴィタリの蹴りを評価しており、ユンピョウはいつも、キース・ヴィタリのキックを褒めていたそうです。
キース・ヴィタリが興味深く思ったのは3人はお互い尊敬しており、その信頼関係からくる上下関係が、すごかったようです。一番、年下のユンピョウは二人を兄さんと呼び、二人が言うことは何でも従ってました。サモハンより年下のジャッキーもサモハンに対して絶対に口答えをしなくて、言われたことは何でもやり、尊敬の念を持って接してたようです。キース・ヴィタリがジャッキー達に、これについて質問すると、同じ学校(中国戯劇学院、毎日、訓練の生活、年長者が偉いという環境)で育ってきた歴史があるという事でした。キース・ヴィタリからすると、一番、年少のユンピョウはおとなしく見えたようです。ユンピョウは二人に対して、絶対、スタントや振付やセリフについて、意見することはなく、言われたことは何でも言われた通りにやっていたそうです。これはジャッキーにも当てはまり、サモハンの言うことは何でもやっていたようです。
この映画は予算も高く、三人の勢いがすごく、キース・ヴィタリ、ユキーデも真剣に取り組みました。もちろん、関係者、撮影スタッフの士気は高かったようです。そして、ジャッキーは将来、アメリカの行くことを意識していて、英語を勉強したくて、いつも、キース・ヴィタリやユキーデに話しかけていたそうです。ジャッキーと長い時間、共にすごし、仲もよくなり、格闘技から政治まで、いろんなことについて話し合いました。キース・ヴィタリとユキーデには台本もなく、次の撮影まで、間が開くこともあり、一緒に空手の練習をし、フランスやドイツに旅行にいき、その土地の空手道場に飛び入りで参加してりしました。ユキーデがヴィタリに、いつも、言ってたのは各地の道場で、もし、勝負を挑まれたら、一番、強いのは俺が相手すると言ってました。実際、ユキーデは勝負を挑まれても、全勝だったみたいです。
ブドルドーザーがある敷地でのファイトシーンは 簡単な振付はあったのか知りませんが、ほぼ、ぶっつけ本番だったようです。ヴィタリも驚きました。
ヴィタリ達がジャッキー達を追いかける夜のシーンで、ヴィタリとユキーデが、ジャッキーとユンピョウと対峙する時の音楽をヴィタリは本当に気に入って、クールだと言っております。
サモハンはヴィタリの蹴りが好きでした。ヴィタリはブルドーザーの敷地のシーンの撮影で、誤って、ジャッキーの喉に、強烈な蹴りをいれてしまい、ヴィタリは役を忘れて、ジャッキーの安否を伺うために、駆け寄ると、撮影班から総スカンを食らったようです。何があっても、カットと言われるまでは役を忘れるなと言われました。後にアメリカでも、若いスタントマン達にも、このエピソードは何度も話してるようです。
最後の方のジャッキーがお城に侵入する撮影の時、さすがに、ジャッキー映画なので、台本がなく、ジャッキー達が城壁を眺めながら、どのように、侵入するか考えていました。ヴィタリも、その場にいました。そして、ジャッキーがヴィタリに話しかけてきました。(君だったら、どのように、この城壁を登る?)ヴィタリは(ジャッキー!これは無理だよ、僕なら、正面の門から入っていくよ。)。すると、ジャッキーは(僕はもっと、クリエイティブな方法でいくよ。)と言い、結局、あの登り方になったみたいです。間近で見てたヴィタリはたまげたそうです。確かに小生も、びっくりしました。
城の中での戦いで、ユンピョウと一対一で戦う前に、サモハンとのファイトシーンがあるのですが、その時、蹴りがサモハンに入ってしまったのですが、以前、言われたように、カットと言われるまでは役から離れることはできないので、サモハンのことが心配であるが、カットと言われるまで待ちました。その時間がもすごく長く感じたと述懐してます。カットと言われたあと、サモハンは笑顔でヴィタリに駆け寄り、ハグをしたそうです。実際、そのシーンは使われなく取り直されたようですが。
この映画はファイトシーンに台本がなく、ヴィタリはサモハンに聞きました。(最後、ユンピョウは僕をどのようにして、やっつけるんだ?)すると、サモハンは(心配しなくていいよ。我々にはいい考えがあるんだよ)と言い、ユンピョウとの闘いのシーンの撮影に入るとき、ワインを入れる陶器を見せられました。それも、作り物でなく、本物の陶器で、ヴィタリは(冗談だろ!(笑))と言うと、サモハンは (大丈夫、大丈夫、1テイクだけだから(笑))と言いました。サモハンが考えるには実際、もしも、ユンピョウが正攻法で、ヴィタリを倒しても、香港人は信じない、普通に考えて、ユンピョウがヴィタリに勝てるわけがないという考えでした。子供の頃、この映画のユンピョウの闘い方はせこいと思いましたが、今、見たら、納得できますし、これはこれで、名場面だなと思います。ヴィタリが自分で、言うには最後、倒れながら自分の顔は笑ってるらしいです、確かにそうとも見えます。ヴィタリは倒れながら、(格闘家の僕が映画撮影で、こんなことまでして、僕はほんとに馬鹿な奴だ(笑))と考えてたようです。
ヴィタリはこの映画に関われて本当に幸せであり、歴史をつくったとの自負もあり、反響も大きかったようです。沢山の人間から映画について聞かれました。ジャッキー、サモハン、ユンピョウは素晴らしい人たちで、一緒に仕事できて、幸せだったと、いつも言いました。
大昔の映画ですが、今、見てもアクションが本当に、すごいなと思います。この記事を読んでくれて有難うございます。
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